1.稲荷山宿

弘化四年(1847)の善光寺地震当時の稲荷山宿の再現を試みたものである。道路や水路等の地形については、約10年後に作成された安政五年(1858)の稲荷山村検地絵図13)を参考にしている。家屋については、被災家屋の間口によって支払われた灰片付け料(罹災見舞金)を記した松林源之助家文書に基づいた寸法の家屋を配置しているが、八日町通り両側の家屋については、この資料がないため、荒町中町表通り両側の家屋を参考にして推測したものである。

出典「ドキュメント災害史1703-2003」

2.稲荷山宿火災延焼動態図

その時の火災延焼状況を、稲荷山宿略図(図4.17)と松林弥五右衛門が書き残した文書から推定して再現したものである。

出典「ドキュメント災害史1703-2003」

  • a.三月二十五日 午前0時頃の様子
  • 地震発生から2時間後の二十五日午前0時頃には、下八日町通りで地震直後に出火した最初の火災(1)が、北へ向けて延焼し、荒町表通りで午後11時頃に出火した2番目の火災(2)が、南北両側に延焼すると同時に東側へ飛び火して延焼している。
  • b.三月二十五日 午前7:30頃の様子
  • 二十五日午前7:30頃には、火災(1)は本八日町地区の西側表裏の通りの区域を全焼し、鎮火に向っているが、下八日町表通りから午前7時頃に出火した3番目の火災(3)は北へ延焼し、南下してきた火災(2)と合流している。火災はその後下八日町表通り東側裏を北へ延焼する。
  • c.三月二十五日 午前12時頃の様子
  • 二十五日午前12時頃は、上八日町表通り東側から新たに出火した4番目の火災(4)が、北へ延焼し、この火災は、この後も延焼を続け、残った家屋の大半を焼失させることになる。
  • d.三月二十五日 午後7:30頃の様子
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