5.岩山の「火の用心」(広島県呉市)

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○白い文字に託された消防組組員たちの思い

広島県呉市郷原町への道を進むと、真正面にそびえ立つのが岩山。その名の通り岩でできた山である。 町民の間では「城山」と呼ばれる町のシンボルです。その岩山の大きな岩に、ひときわ目立つ白い文字で書かれているのが「火の用心」。1939(昭和14)年ごろ、消防組組員たちの手によって誕生しました。当時は防火運動が全国的に広がりつつあり、また灰ヶ峰や近隣でも火災が多かったことから、郷原では防火意識の高揚に積極的に取り組んだのではないかといわれています。
だれもがいつでも目にする絶好の場所。本当にいい所に目をつけました。

○戦国時代の山城から砲台まで勇壮な岩山の歴史

戦国時代の岩山に、現在の東広島を前線基地として勢力を広げていた大内氏の山城がありましたが、1554年毛利元就に攻められ、城主の石見源之丞が討たれ落城してしまいました。近代史が有名な呉地方において、唯一の古戦場といえます。そのあと第二次世界大戦時には砲台が据えられました。絶壁に囲まれ周囲を見渡すことができるので、戦いの拠点に都合が良かったのでしょう。このように勇壮な歴史を持つ岩山ですが、今では郷原のシンボルとして子供たちのスケッチの対象となったり、身近な山歩きのポイントとなるなど愛される山へと変わりました。

○「火の用心」を消すな!地元青年達の決死の修復作戦

ところが、みんなに親しまれた「火の用心」の文字も長い年月には勝てず、だんだん薄くなり、ところどころではげて、読めなくなってきました。「このままでは郷原のシンボルが消えてしまう。」と立ちあがったのが「郷原町を考える会」でした。30代の若者を中心に「まちをもっと楽しく元気にしたい」と集った有志の会です。1987(昭和62)年2月に発足し8月2日に修復を行いました。しかしこれには6か月もの準備期間が必要でした。それは、麓からの標高差は約270メートルもあり、山頂まで1時間もかかるゴツゴツとした岩山で、文字が書かれている場所は絶壁だからです。
ロッククライミングをしながらペンキを塗るようなもので「火の用心」の文字を修復したいという気持ちは一つだが、「事故があったらどうするのか」「専門家に任せた方がいいのではないか」「いったいどうやって塗るのか」などしり込みする意見も多く聞かれました。
「会長という立場だったから、『やってやれないことはない』と強気の姿勢をとっていましたけれど、まったく不安がなかったといえばウソになります。でも、町を活気づけるために集まった会なのだから、まずはシンボリックなことをやりたかったんです。」と会長の木原福之さんは当時を振り返ります。
専門家のアドバイスを受けながら、ロープ、安全ベルト、岩に鉄のくいをさす穴を開けるために必要な発電機など、必要なものが準備され、7月には下見に行き、作業の工程などを細かく検討されました。そして、とうとう決行の日、朝7時30分に約30名の有志が集まり、頂上を目指して登りました。現場では、ペンキを運ぶ人、塗る人など役割を分担し、緻密な計画のもと、流れ作業を開始しました。上から下まで縦18メートルもある巨大な文字ですから、下ではサポート部隊が文字のチェックをしながら、トランシーバーで現場へ指示を出します。「いいぞ、その調子」「もう少し右も塗って」。総勢50名からなる修復班は午後2時には立派に作業を完了しまし。「私たちは下書きの上を塗るだけの作業でしたけれど、最初の苦労はこんなものではなかったでしょう。その心意気を引き継いで、郷原が住みやすい楽しい町になるようにみんなで力を合わせていきます」と木原さんは語りました。

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